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宮本武蔵に学ぶその在り方

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伝説の剣豪宮本武蔵

 

吉川英治原作の小説「宮本武蔵」は数々の映画やドラマ化などで日本人なら知らない人は恐らくいないでしょう、近年では漫画「バガボンド」で武蔵に触れ

憧れ、心の師匠だと勝手に思っていたのはかくいう私だWww

 

「五輪書」など武蔵自身が書き残した物もあり

 

その生き様、哲学は現代の我々にも実に多くの影響を与え続けている

世代を超えて愛されるまさに偉人中の偉人である

 

「五輪書」はその名の通り五つの巻に分かれていて

それぞれが「土」「水」「火」「風」「空」という自然の摂理を抽象的に切り取ったような

一読しただけでは少々分かりづらい内容になっています

 

これについて「3大心理学者」の一人、ユングの「人間の心の元型」が当てはまるというのだ

 

ユングは私達の心は戦士、恋人、魔法使い、王様という4つの元型(人格)を持っていると説いている

 

これがピッタリ武蔵の「五輪書」にあてはまる

 

では一つ一つ見ていこう

 

「火」これは戦士という元型

「水」は恋人

「風」は魔法使い

「土」は王様という具合にそれぞれの側面に重なるのだ

 

戦士=「火」は、生命力であり境界線と規律を守るエネルギーであり

決断、実行、行動力などのスピリチュアル的には男性性のエネルギーとも言えよう

 

恋人=「水」は「火」の反対で境界線を飛び越えて、他人との関係を作るエネルギーであり、感じ取る力、感性と感受性であり規格外の動きをし人生を楽しむ力である

女性性のエネルギーとも言える

 

魔法使い=「風」は、客観性、観察力、洞察力、物事の仕組みを理解し、それを応用する力である

自己認識力もここに当てはまる

 

そして王様=「土」とはビジョンと方向性であり、人生の使命を明確にする力であり、成すことに意味と意義を見出す力であり、他人を認めて彼らの可能性を発見する力です

 

人間一人残らず誰しもこの4つの側面を平等に持ち合わせているが

このいずれかが欠落していると人格的バランスを崩して色んな問題になりかねないというのだ

 

例えば恋人以外の3つの能力はそれぞれ発達していて磨かれてはいても

その「水」の力が大きく欠落しているならば

他人を巻き込み、社会や人々の協力は得られないであろう

 

そして目標を達成してもその喜びを共に分かち合い共有する者達が回りにいないならば

なんと虚しい事であろうか

 

武蔵の「五輪書」はこのユングの4つの人間の人格の事を説明していると言える

 

しかし「五輪書」には最後の巻に「空」があるのだ!!!

 

ここが宮本武蔵の凄いところで、この「空」を持って終わらすあたりが

「五輪書」の完成度の高さと武蔵の悟りの境地を物語っているといえる

 

現代的に言えば、断捨離にあたるこの「空」の巻

 

「空」=スペース

それは間ですね

 

心の中の空いたスペース

当然家の中、お店の中にもこのスペースが必要なのだ

 

ゴミ屋敷に誰が入りたがるだろうか?w

 

例えば自分のことばかり考えている人間に、他人の事を考える隙間があるだろうか?

スペースとは言い換えると素直さ、余裕とも言える

自分の考え方、価値観にガチガチに凝り固まっていて

人の意見や、話が耳に入るだろうか?

そんな余裕はないはずだ

 

何事も新しい事、特に学びにおいてはこの「スペース」がないと、そもそも何も学べないのである

 

しかし人生は学びと成長の連続であるため、この姿勢がない人間はそれ以上進歩しない

 

私も常々気をつけたいと思うのだが

自分の話ばかりしている時には

まず相手の話を聞こうとしてない、理解しようとも学ぼうともしていないな自分と感じる

 

どんな人にでも必ず学べる事があるのである

 

武蔵の代表的生き方の一つに師匠を持たないというのがあるのをご存知だろう

 

これこそまさに武蔵の在り方の根源であり

最も尊敬する流儀である

 

武蔵は型に嵌まるのを恐れたのだと思います

これは「クリシュナムルティ」「ブルース・リー」も同じ事を説いている

もっともブルース・リーの「ジークンドー」はクリシュナムルティの型に嵌まらない

一瞬の閃き、英知による自己認識力を武道の理念に置き換えているから型がないのです

 

これは己の内に常にスペースを確保し続けるという在り方であり

流派や型、宗教的イデオロギーがその人を縛るというのだ

 

これは良い、あれは悪い、これをやれ、あれはやるなという具合に規則的動き、二元論では人生の千変万化する動きには対処出来ないということであろう

 

そこで武蔵は師匠を持たなかった

師匠を持たないということは出会う人全て、山、原、森、雨、太陽、星の動きなど自然の摂理、または地震や火山、台風などの人智を超えた自然災害、動物たち、その全てから学ぶという姿勢でいるということになる

 

昔から禅の教えでも師は弟子から学び、親は子から学ぶと言われていますが

まさにそのとおりだと思います

 

互いにそのつもりはなくても共に学びあっているのですね

 

この全ての人から学ぶ姿勢にこそ武蔵が悟りにたどり着いた在り方だと思うのであります

 

素直さと、全ての人、自然の摂理、起きる出来事を師とし永遠に成長し続ける

 

私はこれに万物全てに対する愛と感謝の念を日々忘れずに生きる

 

そんな在り方で生きることが自分の流儀かな~なんて偉そうに言っちゃった(^_^;)

 

謙虚さも忘れずに生きていきましょう~♪

 

今日も皆の健康と幸福、繁栄を願ってます☆彡

 

ではまた~(^ν^)/