世界中の地球人に向けてオハヨウゴザイマス(*´ω`*)/
中国映画「悟空伝」
たまたまアマゾンプライムで¥500でダウンロードできたので期待せず見てみたら面白かった(^^♪
ていうかイケメンすぎじゃね!?この悟空w
悟空と言えばマチャアキのほうでしょうがw
他には香取慎吾、唐沢寿明、モックン、フックン、ヤックンも演じてたね^_^
いやF、Yは違ったわwww
これらの人達も良かったけどやっぱルーサー感がねもうちょい欲しいよねwww
はてさてこの「悟空伝」普通の西遊記とはちょっと設定が違う感じのお話でございます
「西遊記~はじまりのはじまり~」「孫悟空VS白骨夫人」など日本未公開も含め
最近まで中国は西遊記ブームだったみたいでここ数年毎年のように西遊記ものというか
孫悟空ものが映画化されているわけです
ここからは若干ネタバレ含みますので気になる方は映画を見てから一読下さい^_^/
この「悟空伝」のテーマは運命に抗うという一言に尽きると思います
上聖天尊なる神と孫悟空の対決を描くバトル物であります
そこまでいく過程が駆け足ではありますがわりと丁寧に解りやすく初見でも理解できる作りで楽しく見れました
悟空は華火山を滅ぼされたことの復讐、天界では天機儀というものにより運命は決まっているという設定で華火山が滅んだのも天命であるとする上聖天尊との価値観の分離による
イデオロギーの対立戦争です(・。・;
自由に生きたいと望むものと、権力の上に自分の思うままに世界を動かそうとするものの
今も昔も変わらぬ対立構造が生む悲劇ですね
上手く喜劇と悲哀をバランスよく描きながらラストの孫悟空というダークヒーロー誕生へと物語を昇華させてます
まあ例の如くこのお話も私達現実の人間達にもピタリと当て嵌まるわけです
普段私達はこの世界を思うように支配したい人達の思惑どおりマトリックスで生き
そのシステムに沿って生きる良い子ちゃんなわけでありますが
孫悟空は言わば反逆の象徴なわけです
何度も言いますが主体性に欠け何でも他人のせいにしているうちは永遠に他人の天命を生きる事になります
自分の事が可愛そうとか報われたいとか誰かのせいでこうなっていると思っている人は
まさにそういう宇宙観を自分で創造して折に閉じこもっているだけなんですね
こういう方はまさに妄想に取り憑かれていると言えます
被害者意識が強い人はこういう傾向にあるようです
それはまさに愚地(オロチ)である
愚痴ばかり言う人、周りの環境のせいで自分はこういう惨めな状況に陥っているなんて思っている人は最後にまた罠に嵌ります
そう、この現実を創っている「自分」が悪いのだ自分のせいなのだと
愚かなる知覚認識であります
以前「自分」とは自己と他人を分ける行為だとお話しました
そうです!既に本当の自分からかけ離れた別の何かになってしまった自分として物事を
ジャッジして魚竿しているのです
そういう人は永遠に誰かと比べ違う何かになろうとします
ということは「今」にいないのです
どんなに成功してるように見えて何でも持っているように見える人
また何も持っていないように見える人にも等しく同等のプラスの材料マイナスの材料が
あるのです
それに気付けない人はいくら全てを手に入れても幸福感を感じることはないでしょう
ご主人や奥さん、子供が自分を幸せにしてくれるわけではない!
彼氏、彼女が幸せにしてくれるわけではない!
幸せとはそういった他人軸からでも外的要因から生まれるものでもない!
愛と同じように自分が起点となり発動されるものである
逆に一見何も持っていないように見える人も
全てを手に入れたように見える人が持てないものを持っている事に気付いていないだけなのです
単にアナタからそう見えるだけ、そう見ているだけ
ですから幸福とは単にその人の知覚認識の問題なのです
それが解れば他人と自分を比較することがどんなに愚かな行為であるか悟れます
時間は過去から未来に流れ、私はいつか幸せになる
誰かが私を幸せにしてくれると言っている人は一生なれないのです
線形的に物事を捉え檻に自ら入っている囚人なのです
今満足してる人、満たされてる感覚で生きている人が未来もそういう現象を創り出すのです
一方で不安な人は他人を悪く言って自分を正当化する傾向にあります
ですが不安がモチベーションである場合行き着く結果も不安でしかありません
比較競争の時代はとっくに終わったと思います
その領域で魚竿している残りの時間は最早ないでしょう
日本人同士でいがみ合っている場合ではない事が水面下で起きてます
ですが私は最近そういう人は自分で好きでそういう領域に留まっていたいだけなのだと解りました
二極化は避けられないようです
自分の人生に責任を取りたくないという意識が潜在的に何処かで働いているのです
自分が発している周波数が生み出した過去の意識の残照というものがあります
例えば私が人を救いたいと思った場合、救われたい人が顕れます
それは私の意識が生み出している作用と反作用です
そこで私がやるべきことは私自身を祓う事以外なく、それを生み出す元となった自分を祓う事なのです
ですから外で起きていることは自分の内で起きていた起こしていただけなのです
最近私の周りに集まってくる人は、成功する人、何とかなる人、ほっておいても勝手に上手くいく人というマインドセットに変えました
そうすると本当にそうだなと思える人が集まってくるようになりました(*^_^*)
このブログも熊本の人達を対象とするから世界中の地球人へ向けて情報発信するというミクロからマクロへとマインドセットを変えました
結局の所、全ての需要と供給は自分が生み出しているという事がハッキリと見て取れます
宇宙は自分が創造しているという事が明確にわかってきました
それから他人が問題だと思っている事が全然問題だと思えないというか事実問題ではないので、その相手との意識との剥離を感じます
問題が起きてるんじゃなくて現象が勝手に起きてるだけなんだけど
勝手に意識がそれを問題だと知覚認識して問題を勝手に創り出しているというのが
問題の正体だからです
例えば話しても伝わらないならそれでいいや~その人はそれを望んでるんだし
自分はこれで良いし~相手もそれで良いし~みたいな(^.^)
脳が働いてないんだろうな~(;^ω^)www
個別で個人の意識に働きかけるよりも集合意識を変えた方が効率的で投資的表現をするならレバレッジが効くというかw
何となく解るでしょうか?
他人の問題も内側で起きているからこその痛みとして感じて自分の事ではないにしろ違和感となる事が
他人の事も主観的に見れば相手の問題だし客観的に見れば自分の内面で起きている
主体が宇宙の中心だとすると客体が宇宙の広がりだと捉えることが出来ます
ですが問題を問題として捉え、その問題の中に入って行くこと自体が問題を拡大させるのです
俯瞰して、また俯瞰して、さらに俯瞰する
そうすると自分の事、相手の立場や全体の相関関係がありありと見て取れ
適切な立ち居振る舞いが出来るのではないでしょうか
そこから来る行動は一見相手に不快な思いや反感をかうこともあるかもしれません
ですがそういった「真」からでた行動は必ず相手に何かしらの変化成長を与えるものです
その「真」からしか本質は見えてこないのであります
だから例えばうちのスタッフのことでもメンタル面のケアは自分でやって下さいねってなってます(*^^*)
うちのスタッフは優秀なのでそれが出来てしまう人達ばかりだし
私が彼らの仏性というか完全な神性とでも言いましょうか「真」への信頼を見ているのでそうなるのであります
勿論相談には乗りますが答えは本人の中に既にあると解ってますし本人が気付くしかないのです
だから答えは言いません
彼らは何が起きても乗り越えられる人達であるという信頼ですね
そうじゃない人は
自然と離れていく流れなんだと解るようになりました
情けは人の為にならずというように
自分が何とかしてあげなきゃは相手の力を信頼していない相手を低く見ている事になります
結果相手の成長を妨げます
私は今いるスタッフに幸せになってもらいたいしOKAGESAMAに来るお客様にも同様に
幸せになってもらいたい
だから自分は自分の意識を相手の見方のマインドセットを変えたのです
「私の周りに集まる人達は既に幸福な人達である」と
勿論自分自身も既に幸福で満たされているという前提があります
最近意識の進化のスピードが物凄く早いので去年一緒にいた人達、去年話がというか波動が合っていた人達と全然合わなくなってきているのを感じます
自分が高いとか低いとかそんな話ではなく、単に「自我意識」が薄れてきてる感覚で
「空」の状態にいる時間が長くなってきてる気がします
それだけ地球に人間の意識が変化する必要性が迫ってきているともとれます
ですが例えばどんなに高性能なスーパー波動調整器みたいなものがあったとしても
自分が整っていないと全くそういう周波数というものも受け取れないんだなと分かってきましたし
今後機械とシンクロする時代は確実に来るでしょう
しかし機械に頼る人は結局それもまた依存です
自己啓発系のセミナーとかでも同じ内容を学んで結果が出る人とそうじゃない人の差は
何だと思いますか?
それは間違いなく本人の自立度であると言えます
精神的に自立してなく依存傾向にある人は結果が出なかったらそのセミナーの講師の教え方が悪いとか内容がどうのとか他人のせいにします
最初から自分で学びを自分の物に落とし込もうという意識ではなく
どうにかしてもらおうと思って来てる人は100%変われません
そうしてセミナー放浪者へとなってしまいます
巷で言う引き寄せ貧乏という人達です(´-﹏-`;)
最終的には器である自分がどういう状態で在るかで決まるものだということです
何の話だって感じですがw
つまり主体も客体も超越した「空」の状態になって始めて宇宙創造しよっかって事です
その状態であれば結果に囚われることがそもそもないのです
結果に囚われる時点で時間を線形的に見て因果の罠に嵌ってしまうのですね
結果は出て当たり前という意識状態でもあり出なくてもそれが出たという状態です
主体も客体も両方ない状態だと意思を発した時点で叶うかどうか分かってくるし
物事の対処法も最適な感じになってきます
逆に主体と客体を確立したとも言えます
そういう状態の時って例えばメールを開かなくても文章の内容が負の波動を持ってる
これ返信したら問題に巻き込まれるだけで本人にとっても意味ないよなとか解るというか
こっちに負の波動向けないで下さいみたいなw
それくらい自分を大事にしてます(^◇^)
それもあって私がSNS嫌いな理由はこれですw
ブログの内容とかも発信者の心得みたいなものがあってネガティブな情報を流さないという事をルールとしています
ネットの海は物凄い情報量があり発信内容によっては全体の集合意識を汚すと言うか
負のエネルギーに持っていく事になるので基本的に整った波動と文章
人のためになる内容を発信するよう心がけています
たまに只のオフザケもありますがw
それは見た人の意識にダイレクトに影響するからです
言葉にはそれだけの力があるのです
ですから情報の取捨選択は非常に大事です
まあでも等身大で言いたいことを書くというスタンスです(#^.^#)
好かれたい嫌われたくない領域にもういないので結局自我から出た行動ではない「空」の状態から出た行動なら結果その人のためになるって解ったんです
嫌われたくないとかって濁りがあると結果相手に依存心を与えたり勘違いされたり
するという事が過去の経験を通して学んだので
自分が得意な事は相手に依存心を与え不得意な事は相手の自立を促し自発性を高める事が解っちゃたんで、変わる必要もなく只「等身大」でいる事が出来るようになったみたいです
人によってはアイツ変わったな意味分かんないって離れていく人がいるのも解ってますしそれも最適な流れだと分かるようになりました
アナタが今やるべきだと思っている事も実は他人の天命かもしれません
今仕事やお金を稼ぐということが大事だと思っている人も
本当はもっと子供や家族を大事にしてあげることかもしれない
今は仕事ではなく子供達といる時間に捧げるべき時ってあると思うんですよ
最近簡単に離婚する人達とかいますけど
既にしちゃってる人はそれが最適な流れだったのでしょう
結婚生活継続中の人は自分を愛するとか言う前に相手に感謝の意を表明する事とかってやってるのかなって思います
ご主人がアナタといて子供たちを養っているのは何故か考えたことがあるのでしょうか?
アナタや子供達が大事だから愛があるからではないのでしょうか?
そんなご主人に一度でもいつもありがとうとか言ってあげたことはあるでしょうか?
自分を認めてほしいという前に一度でも相手を認めた事があるのでしょうか?
奥さんがいつも家事や子育て家庭を支えていてくれてる事に感謝の言葉や表現をした事はあるでしょうか?
そもそも奥さんや子供たちの為に働いていたのがなぜ反転して疎ましく思うようになったのでしょうか?
それとも
そうじゃない!そんな事はない!あの人はそういう人だと決めつけるんでしょうか?
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれません
アナタが先にそういう固定観念を自分で創り出しただけなのかもしれないのです
「変わるのは自分が先!現象の変化はその後!」
当たり前は決して当たり前ではないのです
自分を愛するとは他人を愛するという事です
西洋的成功法則では自分を愛する自分を満たすという事をよく言われますが
それは半分の宇宙法則しか語ってないわけで不十分な帝王学であると言えます
確かにある地点まではそれはそうなのでしょうが
分離感は幻想ですから最終的には自他一体感そこに行き着くんです
お陰様で私達は生かされ生かし合ってる事が真理だと思うのであります
今問題を抱えてる人も、それを俯瞰して見てみて下さい
決して問題に入り込み問題の犠牲者とならないで下さい
主体と客体を両方俯瞰して見て下さい
何が問題なのでしょう?
それともアナタが「自分」が問題なのでしょうか?
より大きな視点を持つことが出来れば開眼するはずです
問題も自分が造った「幻想」だと
その瞬間が「空」です
そしてその状態から本当の創造が始まります
西遊記の物語は天竺にありがた~いお経を長安まで持ち帰るというミッションがあり
物語は天竺に辿り着きハッピーエンドなわけですが
私達は「空」を悟った状態からしか新たなものを生み出す事は出来ないのです
ですから悟りこそ全ての始まりであると・・・
孫悟空という名前の意味は「空」を「悟る」と書きます
悟ると「空」の状態に至るとも言えますが
元来この世に生まれた瞬間はその「空」の状態であったわけです
色んな不要な知識を身に付けた結果不自由を掴んだだけなのであるから
それを手放せばよいだけです
どうしたら手放せるのですか?という質問自体が罠であり
また知識を溜め込もうとします
既に知っている
本来の完全性を認識するだけです
それが本性であり本来の姿であり「等身大」で本音で生きるという事です
自己認識に終わりはありません
一応言葉で説明はしたつもりですが言葉を読解して解ったつもりでも
それは到底真の理解とは言えないでしょう
なぜなら真理は決して言葉では言い表せぬものであり
自らの体験により体得しうるものであるからです
そして体得したと思った自分も幻想でさらにそれを手放していくことの繰り返しで
「中今」の状態に在る事が出来るわけです
創造と破壊は常に同時に起きてこそ淀みなく流れていく事が出来るのです
抽象的過ぎて良く解らない文章かもしれませんが
この文面も良く知覚認識を働かせれば自分の中に本来あるから情報として
この世界に自分が具現化したと理解できるわけですから理解しようとする必要すらないわけです
ああそうだった!の世界なのです
それが認識の変化であり、そこからまた新たに現象が創造されるわけであります
誰のものでもないアナタ独自の天命を生きて下さい
ていうか「悟空伝」の話があらぬ方向にいっちゃったよ(;^ω^)w
まあいいか(^^)w
老子「お主には真の武器が在る、来た道を思い返してみよ
出会った者たち、手放せぬもの
お主の手の中に在るものこそ 天球を凌ぐ力だ。」
モンキーキング「この先一万年 忘れる事はないだろう・・・」
モンキーキング「俺の名は!」
モンキーキング「斉 天 大 聖!!」
モンキーキング「孫!」
モンキーキング「悟!!」
モンキーキング「空!!!」
斉天大聖孫悟空「誰が誰だかわからねえが 面を被った連中は!
生きて帰れると思うなよ。」
ここまでお話して最後に一言
運命は変えられる人生は思うように生きられるという事であります
そして今問題を抱え上手く行ってないように見える人も上手く行ってるんです
それは自分が選択し続けて成った結果だからです
ですからアナタは「今」ではなく過去を生きているのです
それが「因果の鎖」であり自分で自分を縛る行為であります
その鎖を断ち切る術は?
もうおわかりですね・・・
この怪物地味たダークな孫悟空はカッコよかった(^O^)
ほとんどスーパーサイヤ人(#^.^#)w
この悟空は石心といって力の象徴的な物を持つ設定ですが
これは人の中の石のように頑なな心、硬い固定観念を表していると言えます
悟空は最初こそ人間の姿で出てきますが覚醒してからは本来の猿の姿に戻ります
ですが仲間と呼べる存在たちとの出会いで見た目とは逆に中身は人間の心となっていきます
石が意思に変わった瞬間ですね
仲間の思いを背負い妖魔となりながらも天命に抗おうとする意思を持って生まれたのが斉天大聖孫悟空だっというお話です
そして運命は変えられるという事ですね(#^^#)
私の考えでは元々持って生まれた「お役目」はあると思います
自分が選んで望んでそれをやりにきた事があると信じています
ですがそれが出来ないように、もしくは出来にくくされるような社会の仕組みがあるような気がします
そういった集合意識もある
それを切り開くのが自身の運命を天命を生きることなのかもしれません
生きる事が誰にとっても等しく天命である。
今日もありがとうございます
応援してます☆彡
ではまた~(^ν^)/