名作映画フォレスト・ガンプ
※注 ネタバレあり・ω・
主人公フォレストは知能指数は低いとされているが
他人からの誹謗中傷よりも母親の言葉「バカをするものがバカ」
「あなたは誰とも変わらない、なんでも出来る」を信じて
その純粋さ真っ直ぐさで
まるで川の流れに身を任せるように軽やかに人生を歩んでいくのである
フォレストが劇中、母親が「人生はチョコレートの箱のようなもの。食べるまで中身はわからない」と僕のママが言っていたと語りますが
アーモンドが入ったチョコ、お酒が入ったもの、苦かったり、甘すぎたり、色んな味がある
どれを食べても自由だけど、それがどんな味でも自分が選んだチョコレートw
箱を開けもせずにただじっと眺めていても良い思いをすることもなければ痛い目に合うこともない
誰かのせいではないんです
この映画の魅力は主人公の人柄でしょう
そしてその主人公フォレストのあるがままを全て受け入れて愛しているお母さんの存在だと思います
彼は勿論喜怒哀楽はありますが
僕のアイデンティティはとか頭でゴチャゴチャ考えてないんです絶対(*^^)v
頭の中がシンプルな分、彼の人生もいたってシンプル
何か面白そう、これだ!っていう直感に従ってただただ動いていく
そこに出来ないかもという余計な思考は入ってこない
これはまさに思考を働かせて、考えるのが得意ではないというギフトですよね
恐らくこのような純粋動機が人生をスムーズに活かせるコツなのかもしれませんね
彼は特に何かを欲しがりもせず凄いことを成していくのですが、最後には本当に欲しかったものを手に入れます
そしてまた手放していきます。
私達もこのフォレストに学ぶことがたくさんあるように思います
出来事に対しても、人に対しても一切のジャッジが無い
ただこれが起きた・・・終わりw
このシンプルな彼の視点がとっても映画全体の進行と相まってとても心地良い
普通なら彼は成功した、そしてまた挫折し苦悩した・・・そして長い長い時が流れ
ついにその時はやってきた!みたいなwww
フォレストは「~だ」終わり。そしてすぐに次の場面www
観客も彼と一緒に悩んでる暇など無い
だから人生は悩んでる時間が余ってるほど長くないんです(#^.^#)
幼馴染のジェニーに将来何になりたいの?と聞かれる場面でフォレストは
「僕は、僕のままだよ」と答えます
これは将来の長期的展望がどうのという話ではなく
自分はいつだってあるがままで完璧なのであり、何かになる必要はないというふうに解釈
出来ます
フォレストとジェニーの人生の歩みのコントラストが非常に対照的で面白い
フォレストは自分も人生もあるがままに受け入れ水を得た魚のように生きていく
方やジェニーは過去のトラウマから逃れようと、自分以外の何かになろうとして自己否定の日々を送っていく
終盤ジェニーがフォレストに「ずっと、自分が解らなかった」というセリフを言いますがこれに全ての意味が込められている気がします
フォレストのたった一つの執着がジェニーなわけですが、これを手放すために
彼は後半走り続けます
三年弱もw
そこでまた母親の言葉が出てきます
「前に進まないといけない時は過去をおいていけ」
そして手放せたであろう時にある人から便りが来ます
そしてフォレストはある人の墓標で独白します
「僕は解らない、それぞれに運命を持っているのか?
ただ風に吹かれて漂っているのか?」
「でも、その両方が同時に起きるんだと思う」と
深いですね~^m^
確かにアメリカの歴史や政治的な視点から見ると?
違うだろwと思う部分もある映画ですが(^q^)
主人公とその周りの人間関係に視点をおいて見てほしいですね
見る人、その時によって色んなメッセージを受け取れるとても素晴らしい映画だと思います
ですがこれは全てフィクション、人生はそう甘くはないよと思っちゃいますよね(・・?
ですが御自分がそう定義付けした時点で「人生は甘くない」ものになります
どうせなら自分に都合の良い「人生は楽しくて素晴らしいもの」にしても誰にも迷惑かからないし、どっちを考えても変わらないなら楽な考えの方がストレスも少ないです(^_^)
実際は現実は脳が認識したとおりに世界を見せる仕組みになってます
フォレストのようにそんな事すら考えない
「なんか知らんけど気付いたら、いつの間にかうまくいってた」
「上手くいって欲しいとも思ってなかった」w
こんな考えだとまさに起きた出来事を味わい尽くして終わりという
「この瞬間を生きる」シンプルな人生になるでしょうね
そんな生き方が出来たら、楽しい事も辛いことも過去や未来に意識が向かうこともなく
とても幸せで満ち足りた今を生きれるのではないでしょうか(^_^)v
今日もありがとうございます(*^^*)
皆様の幸福と健康、そして繁栄を願ってます☆彡
ではまた~(^ν^)/