ヨーダ「これまで覚えた事を全て忘れるのじゃ!」
物事には必ずプラスの肯定的側面とマイナスの否定的側面があります
それは人も同じでプラスとマイナスの両面を持っているわけです
私達の人生も通常は絶えずプラスとマイナスの両極を行ったり来たりしていますね
季節にも春夏秋冬があるように気分の上下や運気の上下などもあるでしょう
しかしそもそも悟りなどというものがあり、一旦そこに到達すれば問題や不平不満、恐怖というものが全く無い状態に至るのでしょうか?
私達は絶えず内面の心の動きも細胞も変化しているのであり静止しているものなどどこにもありません
あるとしたらそれは死でしょう
それが悟りなのか何なのか名付けようもない条件付けも一切ない至福に満ちた状態というものを経験したことはありますが
それを維持したり長くそこに留まる事も自力で再現することも不可能でした(;^ω^)
それは自然に顕れる恩恵みたいなものでしょう
しかし意識の力でそれに似た状態を作る事は可能であると考えます
それが物事の本質を見抜き
出来事や人に対する肯定的側面と否定的側面のプラスとマイナスの差を取っていく事だと思います
マイナスに見える出来事に対して反対のプラスの側面を発見して
プラスの出来事に反対のマイナスの側面の解釈も出来るなら
それはプラマイ0のフラットなものの見方、状態に至ることが出来るということであり
感情のブレも、失ったという錯覚も、何かを得たという幻想もなく
実は最初から0の状態が変化しただけで増えた減った
嫌な出来事だった良い事だったこれはという解釈自体が幻想だった事に気付くことが悟りなのではないかと思うわけです
つまり「あらゆる物事の差を取る」=「悟り」
例えば人に対する期待や思いも、自分がどちらかに偏っているから起きている幻想で
それを手放すことで自分も相手も自由になれるのではないでしょうか?
偏りとは量子力学で言う量子のもつれの事です
そしてプラスとマイナスの出来事に対する感情のブレや解釈が
そのどちらでもないし
それは全て自分が進化成長するためのプロセスであり
初めから「愛」しかなかったと理解した時
プラスとマイナスが統合され中心軸に自分が戻って
クォンタムジャンプ(量子の飛躍)が起きるのです
恐らくこれが悟りであり、次元上昇とも言われている事だと思います
問題は、その問題が起きたレベルでは解決出来ないとアインシュタインは言いましたが
一段高いレベルに自分が至った時にはそれは最早問題ではなくなっているでしょう
私達は必要以上に知識や感情の重荷を背負いすぎている気がします
そんな物、もう手放して子供のように無垢な心に立ち返る時が来ているのかも知れませんね
今日もありがとうございます
応援してます☆彡
ではまた~(^ν^)/