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セルフイメージが下がるメカニズム

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悟空「みんな久しぶりだな~!(o^―^o)

 

なんかすごい久々の投稿な気がするw

 

というかアップするの忘れてたwww

 

ではいきます

 

セルフイメージが何故下がるのかはたまた上がるのか?というお話~

 

人というものは面白い生き物である

 

真理とは関係のない仮設で生きていると言える

 

それはどういうことかというと

 

良くも悪くも自分の世界で勝手にルールを決めてしまう事が出来るのである

 

そして自分で決めたルールから外れると痛みを感じるように自動的になるのです

 

人間は罪悪感を感じる事をするとセルフイメージが徐々に下がっていく

 

しかしこれはプログラムに過ぎない

 

例えばアナタは幼い時にテレビゲームをやるのは暇つぶしであり時間の浪費で

それはいけない事だよと親や教師から教わったとしよう

 

そうするとアナタはゲームをすると自動的に罪悪感を感じるようにプログラムされる

 

ゲームをやればやるほどセルフイメージが下がり続けます

 

それに気が付かないと一生そのままである可能性が高いのです

 

別にそれが今やりたい事でないのならいいのですが

 

本当はこうしたいんだけれど、それは悪いことだと感じているとマズイわけです

 

本当はやりたい事と、してはいけないという罪悪感の狭間にいると自分に嘘を付くことになるのでこれもセルフイメージが下がります

 

私たちは幼い頃は立って歩けた、一言話せた、箸を上手に使えたとか極単純な事でも親に褒められたりしていたわけです

 

ですが大人になるにつれて何かと比較する教育制度が入ってきて純粋な動機やあるがままの価値から遠ざけられ無力化されてしまうわけです

 

つまり社会が造った平均人間からずれると周囲から叩かれ批判される

それを自分で悪いことだと府に落としている場合に自分で自分をジャッジして罪悪感を感じて自己イメージを下げます

 

本当は周囲が何を思い何を言おうが関係ないのです

 

自分が自分を世界をどう思うかです

 

勿論これは殺人を犯したり人を傷つけても罪悪感を感じない人間になれというお話ではありません

 

アナタが本当にやりたい事を自分で制限しているのなら解放しようという話です

 

花や草木、生まれたばかりの赤ちゃんや子供たちは別にアナタを喜ばそうとか癒してあげようとか微塵も思っていません

 

ですがそれらの存在に触れただけで癒されたり優しい気持ちになったり無条件で愛を感じるのは何故でしょうか?

 

それはその存在自体の本当の姿が鏡となって映し出されているからです

 

私たちはあまりにも足し算に慣れすぎてしまっているのかもしれません

 

今の自分では充分ではない足りない不足感から何かを自分に足して満たそうとしてしまって結局空回り

 

本当はそうじゃなくて引き算のプロセスが大事なんです

 

前述したとおり不要な思い込みによって感じている罪悪感

プログラムされた思考パターンを打破する事により子供のように軽やかに自由になる

いや自由に戻ることが必要なんです

 

遅かれ早かれそこに戻るのですが

 

出来れば生きている間にそこに戻れたほうが人生楽しいんです(*’ω’*)

 

人間とサルの違いは紙一重です

 

アナタが日常で起こす奇跡に毎度OK!を出してあげてください

 

人によってはセックスするのにも罪悪感を感じる人がいますw

 

それが既に可笑しいというか歪というか(・・?

 

勝手に作られたルール一つ一つに「それでも私は良いんだ!それで良いんだ!」と

自分の好きだったものの感覚やワクワクを取り戻して自己をどんどん解放して頂きたいと思います

 

リハビリみたいなもんですが

 

自分の中のこれがしたい、これが好き、ワクワクするという感覚を取り戻して

これはやりたくないを断捨離していく

したくないこと考える必要がないことを断捨離すれば

したい事しか残りません

 

「自分は今したいことをしている!」

 

思っていること、やっていることの言動一致がセルフイメージを自ずと上げます

 

こんな生き方でセルフイメージは勝手に上がります(*‘ω‘ *)⤴

 

 

今日もありがとうございます

 

応援してます☆彡

 

ではまた~(^v^)/