私は普通の瞑想とは違う手法をやっているわけです
それが黒曜石を使った瞑想法である鎮魂
鎮魂それは心を一つに纏める事
普段意識が散漫であれやこれやの雑多な思考や感情に囚われていると何事にも集中出来ず正しい判断も出来ないのです
それから人間の個々の能力を高め生きながら人という存在を神の領域まで押し上げる
力があるという事です
国津神を越え天津神を掴み創造意思そのものになる事
かつて縄文時代の飛騨に「日抱き御魂鎮め」という鎮魂の儀式があった
そこから現在の飛騨の名称は来ている
縄文人は先祖を拝み尊び大自然に感謝して水面に映る太陽の光や月の光を正視して
心を静めたと言われている
現在は黒曜石を使ってそれを天津神として宇宙の始まりであり終わりと見る
天津神は創造意思であり存在というカテゴリーには無い
宇宙を開く側の存在であり創造するとか破壊するという次元ではなく
瞬間に破壊と帰趨を行う宇宙創造の意思が天津神の役割であります
在り方が大事でやり方は二の次なんていう言い方をしますけれども
その在り方を生み出してるのが天津神であり
存在すらないのが天津神というわけ解らん話しなのですがw
鎮魂してると確かに在り方がどうのこうのとかそんな事では無いというか
そんなの無いじゃんとなる時もある・・・
あ~そうかなるほど理解したという在り方もない
・・・という世界というか世界という概念もない世界・・・
ひたすらに・・・
多分・・・の中に・・・でそこに行っても・・・
・・・。
みたいなwww
破壊と帰趨は・・・。
一瞬で・・・。
そういう言葉じゃ捉えられず表現も出来ない・・・。
どこまで言葉で説明しようとしても・・・。
いやもういいよそのくだりと言われても・・・。
・・・というか
・。
いや
・
なのである。
少なくとも私はそう掴んだwww
一霊四魂ではなく五霊五魂を統合するという考え方はエジプトの霊魂論に近いらしい
エジプトの壁画に日本語の元となる言語が書かれているのは・・・
そういうことなのだろうか?
黒曜石で出来た鎮魂石をどう使うのか?
時空間を超え輪廻の問題を超えるのが鎮魂である
鎮魂石を宇宙創造の意思(最初の点)展開した宇宙を俯瞰して見るという
ある種の存在論
私が祓う、鎮魂するではなく神が神に対して祓い、鎮魂する・・・
・
一瞬で宇宙の始まりと終わりを体験した
恐らく悟った人が見たビジョンはこんな感じ
宇宙と自分が繋がりブラックホールを使って宇宙の果てに瞬時に行きつ戻るを自在にこなす
そういった宇宙エレベーター的な概念が鎮魂
とまあ頭を整理したくて完全に自分のためだけのアウトプットブログでございましたが何とも抽象的な表現しか出来なかったw
何かの結果を達成したとかそういうのって後々エゴを強化したり慢心の原因になってしまうので常に祓う
何事も自分がやっているのではなく神の御働きが起きたというのは謙虚でいられるし結果に執着せず手放してる状態で頭空っぽの方が夢詰め込める~ってドラゴンボールの歌詞にあったね
どういう纏めかしら(´-ω-`)w
今日もありがとうございます
応援してます☆彡
とほかみえみため
ではまた~(^v^)/
https://youtu.be/TZ8BcxhvIE0